2014年10月18日土曜日

第九回 大鏡の里 平原王墓まつり 



 マジック・ランタン・サイクルが盛り土を囲む。
 盛り土のしたにはかつて弥生の世に此の地をおさめた"女王"が眠るといわれ、ここから国内最大サイズの銅鏡や、この時代の副葬品としては国内唯一という耳とう(ピアス)が発見されたことから、研究者や歴史ファンのあいだでは「その"女王"こそ魏志倭人伝に登場する卑弥呼ではないか」説を唱えるものも少なくない。

 「平原王墓まつり」はこの平原弥生古墳で発掘された出土品全て(その数、2000点近く)が2006年にまるごと国宝指定を受けたことを記念して始まったお祭りで、今年で第9回目を迎える。
 実は昨年も(もちろんLovit's!目当てに)訪れているのだが、こちとら不勉強のすっとこどっこいゆえ「卑弥呼の墓・・・ははは、そっスか(笑)」みたいな感じでスルーしちゃってて、だってほら、「ここが邪馬台国です」なんてもはや"言ったもの勝ち"みたいなところあるし、各地方自治体がこぞっておらが町村説の優位性を喧伝しあってた時期とかもあったじゃないですか。だもんで、吉野ヶ里とかの力の入れっぷりを観てしまうと、こちらのごくごく狭いエリアで展開される、豚汁の湯気と焼き鳥の芳しい香りがふわふわ漂うザ・村まつりはどうしても「卑弥呼の墓・・・ははは、そっスか(笑)」ぐらいにしか思えず・・・でも今年は違うよ!今年は自分のなかで空前の原田大六ブームがキており、去年に比べたらそこそこの予備知識もあるので「待ってました!」な感じでの参加とあいなりました。でも、もちろんLovit's!が目当てよ!

 本題に入るまえに、まずは原田大六とはナニモノかをザックリ紹介しておきたい。
 この人を知っているか否かで平原遺跡、いや古代糸島、ひいては"伊都国"というものに対する関心は俄然違ったものになってくる・・・と思う。
 まず出会いは図書館の郷土図書コーナー。Lovit's!好きをこじらせて糸島に関係する本ならなんでもとりあえず手にとってしまうようになってしまった僕のまえに「面会謝絶だぁ 孤高の考古学者 原田大六」(西日本新聞社)という変わった書名の一冊が目に飛び込んできた。「面会謝絶」ってなんだそりゃ。まったくワケがわからない。
 学者さんの伝記ならもっと穏やかなタイトルがつけられるべきなのに「面会謝絶だぁ」とは、まるでパンクの音盤のタイトルではないか。INU「メシ喰うな!」ピストルズ「勝手にしやがれ」ディスチャージ「Hear Nothing See Nothing Say Nothing」なんかと並んでても全く遜色ない感じである。
 なので完全に興味本位、軽い気持ちで借りてみたところ・・・その内容〜原田大六なる人物の、タイトルに違わぬハードコアな生涯〜に一瞬でコロッと持っていかれてしまった。

 1917年(年)、前原の地に生まれた原田大六は憲兵から考古学者になったという異色の経歴の持ち主(憲兵時代も我々の抱く"憲兵"像とはかなりかけ離れていて、そこから考古学者としてデビューするまでの道のりもまた特異なのだが、その辺までフォローするとドエラいことになってしまうから泣く泣く省略する。ぜひ関連書籍を読んで頂きたい)で、奔放で独特な学説を次々と発表するも、在野の学者ゆえアカデミズムからはほとんど黙殺の憂き目にあってしまう。そんな打てど響かぬ官学界を歯に衣着せぬ舌鋒で片っ端から攻撃し、いつしかついた渾名が"ケンカ大六"。
 1965年(昭和四十五年)、平原の畑から鏡が出土した、との報告を受けて早速調査を始めるや、これが「百年に一度の大発見」。
 考古学史上たいへん貴重な出土品がここから大量に発掘されたのは前述の通りだが、そこに至るまでの道のりは決して楽なものではなく、作業には私費を投じ、粉々に破砕された状態でみつかった鏡も独力でコツコツ復元(このへんの気が遠くなる作業の様子も是非読み知って頂きたい)、それに徹するうちシンナー中毒を患って幾度も倒れたりしている。
 そんな人生を賭した労苦を経て復元された40面の銅鏡のなかで、最も有名なのが「糸島市音頭」でも謳われている「日本一の大鏡」こと直径46.5cmの大型内行花文鏡であり、大六は研究の末、これを八咫鏡(三種の神器のひとつで伊勢神宮の御神体、非公開)とおなじ鋳型から鋳造されたものと結論づけた。
 となると、日本国の起源がこの地方にあったということになる。
 ほらほら、なんとなくコトの重大さがわかってきたでしょう。
 こうなると文部省も黙っておれず、出土品を東京上野の国立博物館にて管理したいと打診してくるのだが、大六はこれを「出土品は地元に保存してこそ価値がある」と格好よく突っぱねた。そうだそうだ、いつだって東京の奴らは地方の宝がバズった途端、メジャーデビューとかいらないことを・・・。
 閑話休題。
 これらの発見によって原田大六はいちやく時の人となり、平原遺跡について著した『実在した神話』は研究書としては異例の数万部を売りあげるベストセラーに。それが邪馬台国ブームの先鞭となって、自宅には取材やファンがひっきりなしに訪れることとなるのだが、調査研究、復元作業、論文執筆をなによりも優先した大六はそれらの一切を遮断すべく、丸田池近くの私邸玄関に「面会謝絶」の札を貼る(これがタイトルの由来)。アポなしで訪れるものは容赦なく追い返し、アポありでも記者がうっかり不勉強を垣間見せたり、NGワードに触れたりするとやはり叩きだしたというからおっかない。
 仕事に集中するため電話もひかず、テレビはあったが観るのは年末年始だけ。その「テレビ見ていい期間」が終わるやハサミでいちいちアンテナコードを断ち切っていたというから、なんというか、やっぱりホンモノである。ただし、この手のコワモテにはなぜか必ず愛らしいエピソードがつきまとうもので、正月は人情ドラマを観てハラハラ落涙していたとか、「ムーミン」は好きだったとか、高田みづえがテレビの取材で尋ねてきてからは彼女が出演している番組を欠かさずチェックしていたとか、そういう心温まる話もあったりする。
 かくして平原遺跡=伊都国王墓は折からの古代史ブームの波にのり、博多井筒屋で催された「邪馬台国のナゾにいどむ・伊都国王墓展」(昭和四十四年)は2週間で二万七千人を集客する大盛況、期間後も「出土品をみたい」との声が相次いだので大六は県・市の関係機関に「防犯設備が整った公開施設を用意せよ」と提言するが、なかなか自治体が首を縦に振らないので、業を煮やして遂に自宅の庭に自費で私設保管庫「平原遺跡出土品復元保管室」を建設してしまう。これ、名前はフツーだけど、鉄筋コンクリート製・耐震&耐火設計バッチリ・扉は鋼鉄で厚さ15cm・錠前6コつきというミニサイズの要塞であった。これでまた「出土品を私物化している!」との批判を受けると(当然っちゃ当然だが)、大六は「(県や町は)何もしなかったじゃないか!国が買い上げるなら2億円要求する!強権発動ならまた粉々にする!」と咆哮。もはや銅鏡を人質にとったテロリストだが、主張はそのあと「地元にしかるべき施設をつくり展示するなら、即座に無償で提供する!」と続き、この「しかるべき施設」がのちの伊都歴史資料館、伊都国歴史博物館に繋がるのだから、それもすごいハナシである。
 この頃にはあだなも「ケンカ大六」から「伊都国王」になっていたそうだ。

 朝日新聞が当時選んだ「70年代日本の100人」のアウトサイダー部門では大島渚、深沢七郎、澁澤龍彦といった面々と並んで紹介され、学会は敵に回したものの、梅原猛、松本清張ら良き理解者にも恵まれた。とくに松本清張なんか自宅まで詣でに来ている(その後、NHKでタイマンの討論番組も組まれた)。
 これでもエピソードはごくごく一部。ここでは面白を優先してハーコーな一面ばかりをとりあげてしまったが(もっとあるんだけど)、それ以外の部分や、もちろん著書も面白いので、是非「面会謝絶だぁ 孤高の考古学者 原田大六」「孤高の天才 原田大六 -その学問と波乱の生涯-」(歴史新報社)「原田大六論」(中央公論事業出版)そして「実在した神話」(學生社)あたりは手にとってもらいたい。原田大六の存在は糸島という神話の地のロマンのうえに重なる、もうひとつのロマンである。
 あの長閑な平原歴史公園に、こんなファイト・ザ・パワーでイトシマズ・バーニングな歴史が眠っていたとはねー。

 そんなあれやこれや情報を仕入れてからの「平原王墓祭り」だ。
 「こ、これが大六さんの掘った土地!邪馬台国!」と、去年の自分はどこへやら、ミーハー気質まるだしで会場に足を踏み入れてみると・・・やっぱり豚汁のうまそうな香りと焼き鳥の煙がもうもうと漂ってるのな!でも、卑弥呼の墓なんですよな!

 Lovit's!のステージは16:10より〜となっていたが、こちとら平原ブームの真っただ中にいるので、今日は最初のセレモニーから観てやらんと14時に平原歴史公園入り。
 「王墓」こと1号墓のまえでまったりと式典の開始を待つ。
 天気は快晴、でもちょっと風が冷たいかな。これがかの雷山おろしというやつだろうか。

 「王墓」のまえの祭壇に銅鏡のレプリカ(去年ステージ隅に据えられていたもの)が鎮座ましましていたので、観察がてら裏にまわって背面を覗いてみると、そこに「原田大六・作」の文字がありびっくり仰天。ものすごく器用な人(もともと職工さん)だった、というのは評伝や伊都国歴史博物館の陳列物を観て存じていたが、まさかこんなものを作る技術までお持ちだったとは・・・。
 感心しながら近くにいらした関係者の方に「大六さんはあんなものまで作られていたのですね・・・!」と言ったら、「形式上そう書いてあるだけで、ホントは別の人がつくったの」という答えがあっけんからんと返ってきた。
 敗北!

   戴いたプログラムによれば、セレモニーは「伊都国女王・王子・王女 出発式/雷山保育園児鼓笛隊行進・演奏」から始まるそうで、これは一号墓前からステージまでの小径を彼ら参加者がパレードめいた感じで練り歩いていくものらしい。
 ほどなくして、今年の伊都国女王ご一行[ルビ:ロイヤルファミリー]がいかにもVIPらしく地区のパトロールカーに乗って御到着あそばされ・・・ええっ!?ええ〜っ!!
 なんといったらいいのか、その、えーと、まさかの展開ってやつ?
 「ちりめん問屋がご老公!?」「遊び人の金さんがお奉行様!?」「スーさんが社長!?」「北京原人が本田博太郎!?」みたいな衝撃(最後のは全然違うけど!)に貫かれ、あわわ、あわわ。こういうときって「ひかえおろう!」したほうがいいのかしら!?

 レポートのくせに肝心のところをボカすのもなんだか申し訳ないが、そこはいろいろのアレがあるということで容赦頂きたい。とりあえず「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン!」とだけは言っておこう。また来年も観れたらいいなあ!(期待をこめて)ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン!
 ちなみにひびきちゃんも過去に伊都国王女役を務められたことがあるそうで、さらにはスタッフさんにも原田大六と近しい方がいらっしゃるというから、やっぱりLovit's!と伊都国のあいだにもがっつりスジは通されているのであった。

 14時30分。
 雷山保育園のちびっこたちが銅鏡の乗った神輿を担いでパレードはスタート。
 行列の先頭を務めるのは実行委員と思しき方々で、それにロイヤルファミリー、雷山保育園児鼓笛隊が続く。
 雷山保育園児鼓笛隊といえば今年7月のケアプラザ伊都夏祭りでLovit's!のフロントアクト(私見)を務め、その小児らしからぬしっかりとした演奏にたいそう驚かされたものだが、ここでも「義務教育以前の子供たちがここまで出来るのか!」と感嘆させられた。
 フツーあの年代が演奏する楽器なんて、ピョコピョコ鳴るクツとか、サランラップの筒に口つけてブォ〜とか、全然関係ないところでバスのピンポン押すとか、それぐらいのものですよ。これも糸島の神秘であるなあ。
 コスモス畑にはさまれた小径を200mほど行進し、ステージへ到着。



 15時。
 祭典の開幕を告げる糸島市吹奏楽団の演奏に続いて、伊都国女王による平原王墓まつり開会宣言が執り行われる。
 その後、うやうやしくも勿体無くも女性司会者さんによる王室インタビューが始まり、女王さまからは「3年前にもいちどオファーを頂いたがそのときは旦那さんからNGがでた」、王女からは「特技はサッカーとピアノ」、王子からは「白いご飯が大好き」などといった、下々のものにとってはかなり親しみやすい王族の秘められし一面が詳らかにされた。
 王子が立候補した理由を尋ねられ「平原に住んでいるから応募しました」と答えていたが女性司会者はそれをスルー。そこは「《王墓》と《応募》で、かけてるんですね!」のところよ、たぶん!・・・たぶん!

 続いて糸島市長のご挨拶。
 「かつてここは日本の中心地であった」「糸島が日本発祥の地である、とNHKが認めた」等のゴキゲンなスピーチは何も知らない人からすると少しヤバい集会のソレに思われそうな気もするが、どちらも間違ってはいない。前者は大六の説に照らせば真っ当なものだし、後者も今年6月に放映された「歴史秘話ヒストリア」で〜認めた、かどうかは少し微妙だとしても〜そう紹介されてしまったからしょうがないのだ。正しいのだ。
 しかし、平原王墓まつりのイイ&スゴイところはごく自然体にその事案を受け止めている(ようにみえる)ところである。
 フツーなら、鬼の首をとったかのごとく「日本国発祥の地!」をぐいぐいアピールしちゃうところではないか。「日本一銅鏡せんべい」「卑弥呼まんじゅう」「大型内行花文鏡キーホルダー」なんかつくって調子に乗りそうなところではないか。しかし、ステージをぐるり囲む出店はイカ焼き、フライドポテト、焼き鳥、おでん、豚足などなどあまりに普遍的なものばかり。その全てが地区の方々によるもので、いわゆるテキ屋系の人々すらいない、どこまでも日常の延長にあるお祭りなのである。
 このサッパリとしたまとまりにはある意味、「真の日本国発祥地」に住まう人々の余裕みたいなものさえ感じられた。
 テーマは大胆ながら、なんとも不思議で心休まる空気が漂っている。

 16時。
 おなじみの二丈絆太鼓を経て、演目「糸島PR隊Lovit's(ラビッツ)&いとゴンの歌とダンス」がはじまりはじまり。
 Lovit's! Themeとともに「国宝・内向花文鏡」の垂れ幕がかかったステージ〜もちろん今年もステージのはしっこには銅鏡のレプリカがある〜に、メンバーが駆けのぼる。
 今日はさとみちゃんとゆうちゃんが欠席か・・・あれっ、なんかいとゴンも一緒にでてきたぞ。これはこれで意外とフレッシュな趣向だけれど、ってことは一曲目は「いとゴンのシマ」かしら?
 ・・・いや。
 「Shining Star」(LinQさんのカバー)だ。
 通称「シャイスタ」ではじまるセットリストも珍しいっちゃ珍しいが、端っこでヒョコヒョコ踊るアイド竜もまたかなり気になる。なんとなく「いつか、そういう日が来るかも」とは思っていたが、本日をもって遂に"おともだち"から正式メンバーへと昇格を果たしたのだろうか?
 それにしても銅鏡といとゴンに挟まれて歌い踊るLovit's!の姿はかなり糸島全開!な風情があった。
 歌が"みんなが手を重ねあわせるところ"にさしかかり、「わー、これにいとゴンが参加したら、俺、感動して泣く。泣いちゃう」とドキドキするも、あらず。
 それどころかいとゴン、歌の途中でひっこんじゃった。
 一体なんだったんだろう。これもまた糸島の神秘・・・かなあ。

 自己紹介。
 「Lovit's!いちのミニマム」あゆみちゃんと、レプリカとはいえ「日本一の大きさの銅鏡」の邂逅にシビれる。れなちゃんの自己紹介〜「糸島の夕日が大好き」〜も、ニニギノミコトがこの地を「朝日のよくさす国、夕日のひてる国なり。ゆえに、この地はいとよきところ」と評した天孫降臨の神話を踏まえると、またいつもと違った感慨があった(ニニギノミコトはクシフルダケに降りたった、と記紀に伝わるが、ステージの裏手にちょこんと頂を見せているその山こそクシフル山なのだ。アンビリーバボー!)。

 「Magic Island」とLinQさんのカバー「for you」に続いて、ようやくわたしたちのおともだち、いとゴンが呼び戻される。これにより正式メンバー疑惑は晴れたが、特注のLovit's!はっぴ(この日いとゴンにプレゼントされた)を着ているのはやっぱり羨ましいぞ、このー。



   「いとゴンのシマ」でちびっこたちをフィーバーさせたあとは「いとくると」で一気にたたみかけ、最後は「祭りの夜 〜君を好きになった日〜」で王墓まつりにLovit's!スタイルのお祭り風をびゅんびゅん吹かせる。
 全体を通して少しフワッとしたところもあったが、お祭りそのものの雰囲気がフワッとしてるので、「あー、このユルさもまたいいなァ」なんて思ってしまったのはファン心理の甘さだろうか。でも、やっぱり良かったですよ。

 アンコールはやっぱコレでしょ!の「糸島市音頭」(ヤング・バージョン)が、まむし温泉〜福田こうすけ通うショー〜市民まつりと来て、ついに捧げられるべき土地に捧げられた。
 ここまでくるとやっぱりLovit's!歌唱バージョンが聴きた(略
 ラストはこれまたキラーチューンの「ようかい体操第一」で、妖怪の仮装をした売り子さん、妖怪大好きな子供たちも一緒に踊って大盛り上がり。その渦中にしれっと紛れこんでいたいとゴンの♪カイカイキイキイクイクイケイケイ…踊りがものすごく愛らしかったことを記しておきたい。悔しい。

 17時50分。
 ボランティアの語り部さんによる「平原王墓のお話」は、この平原/糸島にまつわる神話から、発掘までの物語を朗々と暗唱していく圧巻の演目。次から次へと登場するナントカノミコトやナントカノヒメを全くつっかえることなく列挙していくさまは「ス、スゲエ」の一言しかでない。
 そのあと今年6月にNHKで放映された『歴史秘話ヒストリア・女王卑弥呼はどこから来た?』鑑賞会がはじまり、個人的には去年ここで上映されたという原田大六のドキュメンタリー、九州朝日放送が1975年に制作した『王墓を掘る男』が観たかったのだが(もともと50分近くあった番組がクレームに次ぐクレームでどんどんカットされ、現在は30分足らずのバージョンになっているそうだ。ハードコア!)、「女王〜」もウッカリ未見であったため、これもありがたい。

 さて『女王卑弥呼はどこから来た?』は鶴田真由さんがここ平原遺跡はもちろん伊都国歴史博物館まで訪れる、これだけでもイトシマニアにはたまらない映像作品なのだが、上映中「あっ、おれんち!」とスクリーンを指差し歓喜の声をあげるおじさんなんかもいたりしてかなり楽しい視聴体験ができた。
 番組ではいわゆる「東遷説」(邪馬台国が北部九州からヤマトへ移ったという説。大六もこの説を提唱)が紹介されており、さすがに明言はしていなかったが、ここに眠る女王が卑弥呼だという可能性もしっかり示唆し、それを受け平原の住民の方々は拍手、拍手。
 本で「邪馬台国=糸島説」の概要はだいたい知ってるつもりだったけど、映像にされるとやはり理解は早い&深いものである。

 番組内で卑弥呼が駆使したといわれる秘術・鬼道が「こういうもんじゃなかったのかな」的に映像化されてて、それがヘンプを朦々と炊いて、たくさんの鏡でビカビカ光線を乱反射させて、桃を食べながらみんなでパーリー!というもの。
 こんなことを一号墓のところでやってましたよ、ってんだから夢は膨らむばかりである。平原は"日本国発祥の地"以前に"日本初のクラブ"だったのかもしれない。

 19時。
 我が仇敵、「糸島ひょっとこ踊り」(衣装がちょっぴり弥生人っぽくアレンジされてた)が歴史番組の興奮さめやらぬ人々をいったんチルアウトさせに入ったので、日本初のクラブ・一号墓を改めて見物にいく。
 ここだけなぜか提灯の明かりが落とされていてすげーまっくら。でもこれはこれで雰囲気良しだ。ミニマルにもホドがあるひょっとこサウンドを遠くに聴きながら、ボンヤリと太古のアゲアゲっぷりに想いを馳せた。

 しかしその、いったん落ち着いて考えてみると王墓まつりそのものは「かつての歴史ロマンを記念するもの」として立派に機能しているが、もうひとりの伊都国王=原田大六の反骨精神みたいなものは思いっきりおざなりにされていないだろうか。いや、それでも全然オッケーなんだけど、やはりアナーキーな側から足を突っ込んでしまった人間からすると、少し物足りないものがある。
 じゃあどうすりゃいいのよ、といわれても答えに窮するが、そ、そうだなあ。
 文部省の役人にみたてたカカシの前で、素焼きの円盤をバリーンバリーン割る催しとかどうでしょうか・・・すいませんでした。

 19時半。
 ステージに戻ってみるとお祭りはいよいよクライマックス。
 糸島市民まつり以来の門馬良さんがステージにあがって、「糸島市音頭」を総踊り・・・のハズだが、なぜか山本譲二の「花も嵐も」を歌ってらっしゃるなあ。おお、自ら客席にとびこんで握手廻りを始めた。これが人気の秘訣か。
 門馬良さん歌謡ショーは「見あげてごらん夜の星を」「あした天気になぁれ!」(オリジナル曲)と続き、軽妙なMCとともにオーディエンスを存分に温めたところで、ようやく「糸島市音頭」をドロップ!あちらこちらから老若男女がわらわらと集い、輪となって「ハァー、はるか〜なるいとぉ〜しぃ〜まぁ〜のぉ〜」って・・・あれっ、なんか踊りが違うよ!・・・そうか、オリジナル・バージョンか!
 よくよく考えたらLovit's!が踊るヤング・バージョンしか知らないのでいきなりアウェーな気分を味わう。
 しかし!
 ここでようやく俺のなかでのアナーキズムが目を覚ました。「大六イズムを発揮するなら、今しかない!」
 周りを気にせずひとりで「そうめん、そうめん♪」と手を動かす。
 どうだ!これが俺の反骨精神ですよ!大六さん!
 そうめん、そうめん、それそれそれそれ、おっおかっがみ、きらっきらっきらっきらっ、あい、てぃー、おー!
 総踊りは掟破りの2回目に突入し、まさに平原はパーリータイム!レイヴ・オン!
 そうめん、そうめん、それそれそれそれ、おっおかっがみ、きらっきらっきらっきらっ、あい、てぃー、おー!

 来年も来ようと思います。こうなったら来年もそうめんそうめんしたろうと思います。

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